この時期になると思い出す子がいます。私が動物看護師として働いている時に出会った「ノエル君」です。
ノエル君と会ったのはクリスマスの前日12月24日のイブの日でした。
お家で飼っているワンちゃんのお散歩に出掛けていた飼い主さんは、いつも漁港のゴミ置場の前を通ります。不法投棄されたゴミが山積みになっているゴミ置場に、不自然に裏返しになった段ボールを見つけました。
いつもなら通り過ぎるワンちゃんが何故か立ち止まり、臭いを嗅いでその場から離れません。変に思った飼い主さんは崩れかけている段ボールを覗くと、ピンクのキャリーケースが見えました。気になった飼い主さんは勇気を出して段ボールを破ってみると…キャリーの中にはガリガリに痩せたダックスがいました。
最初は亡くなっているのかと思いましたが、よくみるとお腹がかすかに動いています。急いで段ボールを外しキャリーから犬を出してあげると、顔を上げ衰弱した体で一生懸命尻尾を振っています。
まるで「助けて。」と言っているみたいだったそうです。
回復は望めない
元々犬が大好きで、お家で飼っているのもダックスだった事もあり見捨てる事は出来ませんでした。すぐに私が勤めている動物病院にやってきました。来院した時には、体温は測れないほど低くく痩せてあばらが浮き出ていました。貧血もひどく、歯茎の色は真っ白でひどい脱水もありました。すぐに体を温め、少量血液を抜き検査すると末期の腎不全で腎臓の数値が測りきれなくなるほどあがっていました。見た目から10歳以上の高齢の男の子で、かすかにある意識で私達に尻尾を振る姿が余計に悲しく涙が出そうになりました。
10年以上も一緒に暮らしてきたのに、歳をとり病気になったらゴミのように捨てる。それも段ボールで隠すように…。許せませんでした。何故こんな酷いことが出来るのか、同じ人間として恥ずかしくなりました。
保護された飼い主さんに先生から病状についてお話ししました。
「もう回復する事は難しく、治療してもお金がかかるだけで対処療法しかない。どこまで治療を希望されますか。」
と聞きました。
最初悩んでいた飼い主さんでしたが覚悟を決めたのか
「この子は尻尾を振ってまだ生きたいと言っています。無理のない範囲で治療し、最後は私が看取ります。実はもう名前を決めていてクリスマスだしノエルにようと思って。」
と言ってくれました。
その言葉に先生も納得し、入院はさせず無理のない範囲で治療を行いました。お家ではしっかりと保温してもらい、ほとんど食べる事も飲む事も出来ないノエル君は毎日点滴と注射をしました。
保護されて7日後の12月31日朝。飼い主さんに見守られながら、暖かい毛布に包まれて亡くなりました。新しい年を迎える事は出来ませんでしたが、あの状態でよく7日間も頑張ったなと思いました。
この子の生まれてきた意味
保護された時、私はこの子は幸せだったのか?この子が生きてきた意味はあるのか?と考えました。病気なって一番辛い時に飼い主にゴミのように捨てられて、こんなに酷い想いをするぐらいなら生まれてこない方が良かったんじゃないかと思う事もありました。でも亡くなった後飼い主さんが挨拶に来られた時「短い時間でも楽しかった。少しお水を飲んでくれただけで嬉しかったし、動かない体で私を探して頭を動かす姿に幸せを感じました。」と言う言葉に私は一気に救われた気がしました。
ノエル君はきっとどのワンちゃんよりも幸せな7日間を過ごし、飼い主さんもたった7日間しか飼い主になれなかったけど、この7日間は誰よりも幸福で暖かい時間を過ごしました。
それが答えだと思います。今でも私はノエル君を忘れる事が出来ません。忘れない事が私に出来るノエル君が生きてきた意味でもあると思うからです。
最後に
いつまでたっても動物を捨てる人はいなくなりません。
お金がないから治療出来ない。
面倒をみれない。どうしよう。
無責任な飼い主さんはよくいいます。
この仕事をしていて思うのは、もう少し命を飼うと言う事に責任をもってほしいと思います。私達と同じように犬は生きています。私達と同じように歳をとり病気になります。その時、壊れたおもちゃのように捨てれば終わりですか?と聞いてみたいです。
必ず生きていれば歳をとり病気になり面倒をみなくてはいけない時がきます。
お金も時間もかかります。簡単な事ではありません。弱っていく姿に心が折れそうになったり、時には投げ出したくなる事もあります。それでも自分が預かった命を最後まで見届ける責任を負う事。それが「犬を飼う」という事だと思います。
終わりです。
楽しいブログでないといけないのは分かっているのですが、こんなの見つけてしまい、命の大切さを少しでも分かってもらえたらと・・。
命の大切さ、せめて、せめて自分に託された者だけでも大切にしてもらいたいです。